「熱気みなぎる、真冬の札幌中島体育センター。革命戦士が起こした熱風が、燻りかけた職人の、刹那の魂を揺リ起こす・・・」

革命戦士・長州 力・2

昭和57年10月の決起からおよそ1年、長州が巻き起こした反骨の火種は様々な形で飛び火し、アニマル浜口、谷津嘉章、寺西勇等の実力選手を同士に迎え、圧倒的な戦力差で快進撃を続ける。9月の吉川町大会のタックマッチでは、長州、カン組が藤波のパートナーである前田明(日明)を試合前にノックアウト。急遽、代打で出てきた高田伸彦(延彦)をもあっさりと潰してしまった。「向かう所敵無し」の維新軍は正規軍総帥アントニオ猪木に対して「全面戦争」の宣戦布告をする。
長州の「全面戦争」の宣戦布告を受け、11月3日に蔵前国技館で行われた、第一次「幕長戦」は4対4の綱引きマッチ。両軍団がリングを挟んで対峙して、エプロンに置かれたロープを引いて対戦相手を決める・・・簡単に言えば、露店の「紐クジ」みたいなものだ。こう言うものは、得てして目当てのものは引けない、将軍追い落としを目論む長州は前田と、長州征伐に乗り出した、将軍猪木は谷津と対戦する事になった。結果は勢いに勝る維新軍が、2勝1敗1分けで、維新軍に軍配が上がった。

昭和59年2月3日 札幌中島体育センター  「藤波・長州 名勝負数え歌」その名が示すとおり、全てがベストバウトと呼ぶに相応しい両者の対決。その決着戦とも言われている8回目の対決の日、突如その男は現れた!  入場してくる長州を花道で急襲、不意をつかれ、なすすべの無い長州に更に凶器を使っての滅多打ち。人込を掻き分けて現れた長州の顔面はおびただしい出血に包まれ、その姿は、まさに血だるまの状況であった。状況がわからずざわめく場内・・・それを見たアニマル浜口はマイクを握って「猪木!猪木っ!これは、お前のさしがねか!猪木っ!」と連呼していた。おっとりがたなで入場してきた藤波も状況が掴めず呆然と立っているだけだった。試合不可能な状況は誰の目から見ても明らかであったが、長州は血飛沫を上げて藤波に突進していく。しかし、こんな状況では試合など成立する筈も無く、両陣営が二人を強引に分け無効試合となった。
長州を襲撃した事で、幕長戦の中に滑り込んできた男、職人・藤原喜明。
「下には下がいるって事をわからせてやっただけだ・・・」そう言って、テロリストと化した、猪木幕府の素浪人は二ヤリと笑った・・・・。

藤原がおこなった前代未聞のテロ行為に対し、新日側は「無期限試合出場停止」を勧告した。この処分に対して維新軍側は「猪木の謀略」として藤原との決着戦と5対5による軍団対抗戦を要求、まさに事態は風雲急を告げていた・・・。
タイガーマスク、突然の引退。UWF設立による、前田明、R・木村等らの選手大量離脱騒動の真っ只中「テロリスト抹殺」に乗り出した維新軍。長州は、吹き荒れる維新の嵐そのままの勢いであっさりとテロリストを蹴散らし、尼崎大会では、入場してくる猪木を場外でノックアウト。猪木は一度もリングに上がる事無く控え室に姿を消した・・・。猪木の代役として坂口征二が登場してきたものの、散々に打ち負かされる結果となった。試合後、坂口は「もう、こうなったら5対5でも何でもやるしかないな・・・」と、苦汁の決断を下した・・・。こうして、軍団の存亡をかけての決着戦が行われる事となる・・・。

昭和59年4月19日 蔵前国技館
日本プロレス界、史上初となる「柔道方式」による、5対5による軍団対抗決着戦の幕は切って落とされた・・・

こまま一気に猪木追い落としを目論む維新軍に対し、第一次「長州征伐」に失敗し、その後の各小規模戦でも散々に打ち負かされ、もはや後が無い状況に追い詰められた新日総帥アントニオ猪木。猪木は引退の引導を手渡され、時代の波に押し流されてしまうのか?それとも、押し寄せる波を押し戻し、起死回生の逆転なるか?  押し寄せた、プロレスファンの見守る中、各選手の順番が書かれた封筒が田中リングアナに手渡された・・・。

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